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若手法哲学者連続対談・法と科学を語る (2) 吉良貴之/小林史明

→ 趣旨説明・第1回はこちら。

3. 前言語的認識は可能か?

小林前回、最後に因果関係の話が出たので、ここで認識とは何か、という大きな問題をいきなり考えてみたいんです。事物の存在を言語的に構成されたものとみるか、吉良さんのように自然主義的なものでみるかというのは、実は実念論と唯名論とパラレルでもあるよね。
吉良:そうなのかな。
小林:普遍概念が事実に置き換わればね。僕は事実に対する唯名論的立場をとるんだけど。
吉良:言語的に構成されたっていうか、もっと進んで、そこには規範性とか政治性が必ずあるとかいうんじゃないの?
小林:そう。
吉良:「テーブルの上にリンゴが1つある」、この命題の規範性はどこにあるか。
小林:ありまくりじゃないか、というのが吉良さん的にはくだらないんでしょ。
吉良:まあ、言ってみてよ。
小林:テーブルという言葉でその「テーブル」を意味する、というのが規範じゃなくって何なの
吉良:ただの決まりごとだよ? 従わなくてもいいよー。(*^_^*)
小林:従わなくてもいいが、排除するんでしょう。
吉良:排除されるのはイヤだという前提があるのか。
小林:その決まりごとに正しさを持ち込んでないから、排除しても規範の問題にならないの? 排除されるのがイヤか……。
吉良:単に話が通じるかどうかの問題な気がするなあ。
小林:話が通じるかどうかの問題ってのはそう思うんだけど、そこには必ず規範性があると思う。
吉良:「テーブル」と呼ぶかどうかは別として、そこに何かがある、という認識は規範抜きでできないの? それともテーブルという概念なしには「何か」さえも認識できないのか。
小林:他から区別される何かというのは言語の異化作用ってやつでしょう。だから認識できない。
吉良:だったら頭ぶつけて確かめてみろ、という有名ないちゃもんはどう退ける?
小林:いま頭にニュートリノとかぶつかりまくってるけど気付かないじゃない。
吉良:テーブルなら気づくじゃん。
小林:触れる実在に対するその絶大な信頼感は何なのか。
吉良:そうかねえ。じゃあ、言語もたない動物でもそれなりにいろいろ認識してるのはどう説明するの。
小林:いつもそれ聞かれるんだけど。
吉良:いつもどう答えるの。
小林:言語だろう、って。
吉良:どこにあるのよ。
小林:異化できる機能的代替物があるのだろう、と。いわゆる人間の言語の。
吉良:本能は言語的構造をしてるのか。
小林:そう思う。直写的認識という点で人間にもあるのだろう。これはみんなの大嫌いなフロイトがいってることだけど。
吉良:だったら逆に 言語は本能であるといっていいか。
小林言語は本能だと思っているよ。
吉良:言語によって認識が異なるのはそれで説明できるわけ? ランガージュは本能だけどラングは社会相対的なのか。
小林チョムスキーだってそれをコンピタンス(言語能力)といって説明してるじゃない。ランガージュがそういう意味だっけ。
吉良:おおざっぱにはそれでいいはず。
小林:ラングが、チョムスキーのコンピタンスに近いか。国語の問題だし。

3.1 なぜこの対談は「成り立つ」のか?

吉良:その程度の弱い相対主義だったらどうもなー。客観的世界の実在に言語は対応している、というのは採用できないのか。
小林:実在があって、言語がそれに名付けてるような感じのこと?
吉良:いや、実在からの呼び声に言語が応えた結果としてその名づけがある。さあ、うさんくさくなってまいりましたよ!
小林:これ載せちゃ駄目だろう。
吉良:僕はけっこうそれ信じてるよ。
小林:実在からの呼び声ってなんですかもう。気づいてくれー、気づいてくれーっていう存在感的アウラ?
吉良:じゃないと、おおまかな認識は言語が違っても一致することが説明できない。動物の認識だったらもっと飲み込みやすい気がするんだけども。世界の側の「これ危険」っていうメッセージが 本能の側にインプットされる。
小林:言語が違っても大まかに一致していることは別にどうにだって説明できるんじゃないですか。
吉良:してみてよ。
小林:言語が本能なんだとしたら本能的に必要なものが実在としてあるはずなんだから。
吉良:よくわかんないけど、実在論とってくれるのか。
小林:実在としてあるとされること、非実在。ん、言葉を間違った。「事実」に変えよう。
吉良:んー、よくわからない。言語が本能だったら本能的に必要なものが事実としてある??
小林:本能的に構成されるものが事実として現れるだけじゃないか、んで、本能に類似性があればおのずと一致するんじゃないか、ってこと。
吉良:なんで本能に類似性があるの? ごく基本的な認識に関しては たいていの動物の本能は類似してるよね。これは世界の側からのメッセージに応えた結果だと考えるのが自然だと思う。
小林:異なる言語によって認識が類似しているということ自体にコミットしないけれども、していたとしても本能の類似性ということで説明することができると思わないし、必要だとも思わない。
吉良:いやそれわかんない。僕は説明している。
小林:強い相対論からすると動物の認識が類似していることを認めないだろう。説明しないというほうについては、本能が類似していることを説明することはその結果から想定することしかできないと思うから。
吉良:ん、強い相対論とってたの?
小林:その結果というのは認識なんだけど、認識の同一や類似は証明できないだろうと思う。
吉良:おおまかに一致してるから集団行動できてるわけじゃん。
小林:さっき弱い相対論と言われたけれども、なんでそう思われたのかがわからない。いやだから集団行動できている、っていうのは何を指しているわけですか。
吉良:ごく基本的な認識(空間とか)についてはおおむね一致すると思ってるんじゃないのか。んと、それは端的な事実じゃないのかな。疑う理由あるの?
小林:疑えることが大事だと思うんだけれども。一致していると僕は思っているが、それには根拠がない。
吉良:一致してるからチャットできている これじゃダメ?
小林:いいけど、根拠はないよ。
吉良:チャットしているという事実は根拠にならないのか。両方とも夢だけど偶然一致してるってか。
小林:チャットしているということを根拠に、認識の同一性を想定する?
吉良:それがダメというにはもっと強い根拠がほしい。
小林:ほほう。そういう思考実験があるじゃない。
吉良水槽のなかの脳とか言い出すのん。
小林:そういうのもあるし。
吉良ゾンビ論法か。おれ、実はゾンビなんだよね。
小林:そういうのやだなあ。
吉良:まあなんでもいいが、そんな奇妙な思考実験に頼らないといけないのはあんまり筋よくないんじゃないかな。
小林:チャットして会話が成り立つことが、根拠になると思っているのがわからないんだけれども。
吉良:だいたい同じようなキーボードを認識して、同じような画面を認識して……って、無数の一致がないとチャットできないじゃない。それ全部、偶然ってか?
小林:そういう確率的にありえないことだから、なんらかの固い根拠があるはずだ、ということ?
吉良:とりあえずそれでいいと思う。確率がゼロではないってことが重要なのか?
小林:似たような挙動をするものは、その挙動が確率的にありえないなら、同様の認識をしている可能性が高いということは言えると思うが、それが哲学的根拠なの? ……哲学的とかむやみに付けたから取る。
吉良:哲学的ってわざわざつけたところにちょっと感心した。ハードルあげてきたなって。
小林:確率がゼロではないことも重要だと思うし、それは可能性が高いことを示唆するというところまでは理解できるが、それでいいのか、って思うし。そんな硬い地盤は見えない。……ハードルあげて、どかしてみた。
吉良:それでいいのか ってのをもっと言語化しよう。
小林:そういう挙動の似たものが観察されるとして(観察の言語的恣意性はある)、それはコミュニティが構成されているからだと思うし、そのすごいありえなさそうな状況が作り出されていることにはすごいエネルギーが割かれているのだと思う。見たいものが見えている、ことは否定できない。
吉良:そのエネルギー、世界からあふれてるよねって言ってくれるなら同盟できるんだがなあ。
小林:世界から……だめだ。
吉良:だめっすかー。人間の能力にえらい信頼があるなあ。
小林:ありえなさそうな状態を維持するエネルギーが世界から……、世界をシステム論的に、システム外の環境というのだったら……いやだめだ。ちょっと拡散した、失礼。
吉良:単純な動物でもできてることじゃん? すごくないだろう。
小林:いや単純な動物っていってるけれども、牛とか豚とかがものすごい人間寄りの、ありえないぐらい人間に近いものだということはあるだろう。
吉良:アメーバとかと比べたらなあ。
小林:そういう点で動物を比較に出してくること自体が、見たいものが見えている状況だと思うのだけれども。
吉良:何らかの知覚ができる生物だったらなんでもいいんじゃない。
小林:しかし知覚できているかどうかは結果から見るんじゃないのか。
吉良:そこそんな拒絶するのよくわかんないなあ。
小林:知覚ができる生物というのが確率的にありえないぐらい人間と類似しているという反論だってあろうな。
吉良:じゃあ 知覚抜きでどこまでいけるだろうか。
小林:おー。
吉良:アメーバってなんか知覚してるかな。まあ、してないとしよう。
小林:してるんじぇねぇの。まぁいいや。
吉良:してない生物っているかなあ。
小林:知覚(perception)の定義をしよう。
吉良:外界からの刺激を受け取る器官をもっている。おかしいな、受け取る、だけでいいか。
小林:ベルグソンとか読まないといけないのかな。
吉良:知覚してないアメーバも なんかそれなりの本能的行動をして子孫を増やして、……なんかこれ、筋が悪い気がしてきた。
小林:そう思う。
吉良:無生物でいこうぜ。
小林:石ころ。
吉良:たまにすげえきれいな石あるよね。あれやっぱ世界の神秘じゃない。
小林:呼び声がきこえるパワーストーンって……ほら、やっぱり呼び声あやしいよ。
吉良:なんかぐだぐだになりそうだから人間に近い動物にしとこう。
小林:こういう高度(低度)な会話が成り立つことが吉良説の補充になるのか。ならないだろう。
吉良:なるんじゃないの?
小林:吉良さんの立場からはなるとされるだろうが、それが補充になってるなんて……って思う。
吉良:そのもやもやをもっとハッキリ!
小林:吉良さんと僕は、アメーバと人間ぐらい違うんだよ。順不同だよ。だからさっきいったみたいに、そんな一致、会話の成立が根拠ですって言われても、一片の疑いも挟まないどころか、いくらでも懐疑の余地があると思うわけですよ。
吉良:そこで何が疑われてるのかよくわからないんだよね。
小林:まず事実として、それが確率的にありえないのだから、という理由はあやしい。
吉良:なんかその論法、機械がいきなり壊れる可能性は確率分布的に絶対にゼロにはならない → 「じゃあ危険なんですね!」に見えるんだけど、それは意地悪か。
小林:意地悪だと思う。それでいうならば、確率分布的にゼロにならないとしても、安全な場合はあると思うよ。でも絶対安全という根拠にはならないなんだから、絶対安全っていうな、だよ。
吉良:絶対って言うな!程度ならなんかあんまり。
小林:(哲学的)根拠っていうのがそんなレベルでいいのか、って思うだけかな、言い換えれば。
吉良:疑うべき積極的な理由がないならそれを合理性と呼んでいいと思うんだけどね。
小林:合理性って言われても……。哲学的根拠も合理性基準なの?
吉良:それがイヤならもっと魅力的な世界像を提出すべし。
小林:言語によって世界が構成されるって魅惑的じゃないか。
吉良:それ 科学的事実にけっこう反してるからなあ。(1) 動物はよくわからない、(2) 基本的な認識は言語が違ってもおおむね一致する。
小林:反してるかなあ。じゃあ説得的な反論を用意しよう、今度。
吉良:結局、ベイジアン嫌いかどうかになりそうな気もしてきたなあ。
小林:有用であることは認めるんだけど、それ根拠にするのってどうなんだろうね。
吉良:根拠って、何かすごい基礎付け主義なのか。
小林:違うって。反基礎付け主義だろう。
吉良:そんな基礎になるもんなんてそもそも何もない?
小林:それに近いよほんとに。
吉良:だったら、独我論とか否定する必要は感じないか。
小林:哲学的には感じない。
吉良:独我論を採用した上でそういうならわかるけど、してるの? あるいは、せずにその主張は可能なのか。
小林:独我論を採用してるよ、言ってないだけで、僕は独我論者だよ。
吉良:堂々と言え。
小林:独我論とか言うといじめられるから言わないんだよ。独我論否定したいんでしょ?
吉良:否定できるとは思ってないかな。
小林:否定する必要ないもんね。
吉良:や、でも非合理という烙印は押す。それ否定かな。
小林:吉良さんは、基礎付け主義についてははっきりどう思ってるの?
吉良:少なくともこの文脈でいえば、さっきの合理性基準でいいと思うてる。価値の問題でもいけるんじゃないかな。
小林:最初から価値の問題でもいけるという主張なんじゃないの。
吉良:まあそうだね。

小林:しかし二人とも普通の法哲学者の科学観ではない気がするのだが。いや吉良さんのほうは普通になってきてるのか。
吉良:普通の法哲学者なんていないよ!と最初に言ってるからいいんじゃない。
小林:そうか。僕のポストモダン丸出しの話って、なんか古く感じる。実在、事実、自然、アーキテクチャ……きみ、ナウいよ
吉良:アーキテクチャは知らんよ……。
小林:僕はアーキテクチャ論者なのに。
吉良:そのへんのねじれ具合も興味深い気がする。
小林:一貫してないんだよ。
吉良:某先生が「同じ人がやってるってことはどっかでつながってるんじゃないですかねえ」って言ってたな。
小林:じゃ、ブルバキ名乗ろうかな。文系学問においてブルバキみたいなのが成立しないということも、科学と文系知識の違いなのかな。
吉良:次はそういうの論じよう。

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