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 シーラ・ジャサノフ(渡辺千原・吉良貴之監訳)『法廷に立つ科学』(勁草書房、2015年7月)


 著者のシーラ・ジャサノフ氏からいただいた「日本語版への序文」を掲載します。
 本書全体のねらいをコンパクトにまとめるとともに、とくに震災以後の日本にとっての本書のインパクトを述べてくださっています。

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シーラ・ジャサノフ『法廷に立つ科学――「法と科学」入門』(勁草書房、2015年7月)

 シーラ・ジャサノフ「日本語版への序文」

 自分の本が別の言語に翻訳されるのは、かつての仕事を見直す貴重な機会になる。その後の展開を踏まえたうえで、もう一度その成果を見直したくなるからだ。たとえば、当時の基本的な考え方は今でも通用するだろうか。その後の新しい状況をふまえれば、また別の問題設定になるだろうか。異なる言語や文化を背景にしてこのテーマにたどりついた他国の読者にとって、当初の議論がいかなる意味をもつのか、といったように。
 本書の日本語版はとりわけ時宜にかなっている。2011 年に福島で起きた惨事は、科学と法に関連する多くの問題を提起し、関心を喚び起こした。原子力発電所の再稼働計画は、安全だという科学的証拠への信頼に寄りかかっている。裁判官をはじめとする法律家は、これから提起されうる法的な異議申立てに思いをめぐらせるとき、人々の安全と国民経済という、競合する利益のあいだでバランスをとらなければならない。本書は日本で関心が寄せられているその他の争点、たとえば生と死の定義、不法行為法における因果関係の性質、科学における不正行為を規律するルールについても扱っている。
 日本語版の刊行にあたって進んで私が言いたいのは、本書が取り組んでいる科学とガバナンスという大問題は、日本だけでなく法と政治を学ぶ世界中の人々にとっていっそう重要になっているということである。私たちの社会的、政治的、倫理的な活動は、かつてないほどに科学技術に関する選択と深く結びついているのだ。ヒトクローン、遺伝子組換え食品、地球規模の気候変動、知的財産権、インターネットにおけるガバナンスといった問題によって幾度となく、法はいかにして証拠、専門家の権威、公共政策を扱うのかという問題にスポットライトが当てられてきた。民主主義社会は今でもなお法に対し、技術革新の方向性と帰結の双方を導くような原理をもたらしてくれるように期待している。法規範へのニーズは、衛生や安全、環境分野ですでになされた基準設定(★1)をはるかに超えて広がっている。法的紛争で根本的な問題となるのは、制度やプロセスが適切なものかどうかである。かかわっている人々はそのなかで、法と科学が有益な目的に向かって発展するように影響を与えうるのだ。
 本書が出版された1995 年当時と同様に、今日でも、訴訟は科学技術の変化によって引き起こされる困難な法的、政治的、哲学的諸問題を探求する機会を与えてくれる。たとえば、生殖補助医療の時代に「自然な」母や父であるとはどういう意味なのだろうか。インターネットを通じたコミュニケーションやソーシャル・ネットワークにおいて、言論の自由とプライバシーの限界はどこにあるのだろうか。特定の遺伝的形質を目的とする胚選別の可能性のような、最近のバイオテクノロジーの進展は、自己、ジェンダー、個性、家族、コミュニティといった概念にいかなる影響を与えているのか。法がどの程度まで専門的知識を尊重すべきなのかという問いもまた、残されたままである。科学的な事実が、目撃者の証言や、患者の病歴や刑事被告人の性格をよく知る人物の証言といったその他の証拠に優越すべきなのはいかなる場合なのか。法システムは科学に、そのときどきの関連する知識だけでなく、バランスのとれた専門的知識を提示してもらうことまで頼ってよいのだろうか。
 もちろん、ある国の法システムから得られた結論を安易に他の国に一般化することはできない。アメリカの法システムはうまく翻訳ができない多くの特徴を備えている。というのも、アメリカではあまりにも多くの争いが訴訟を通じて処理されるし、コモン・ローのプロセスは日本のような大陸法モデルに基づくプロセスとは異なっているからである。それだけでなく本書は、主として裁判所と裁判官に焦点を合わせていて、科学技術の規制に関与している他の公式・非公式の多くの機関については扱っていない。本書は、日本の読者が自分たちでさらに完成させなければならない地図のための風景を、せいぜい窓から垣間見せるにすぎない。
 しかしながら本書は、直接触れた特定の事例や論争を超えて意義のある一般的な点についても述べている。
 第一は、信頼できる証拠の問題である。多くの訴訟分野において、紛争解決に必要とされる科学は、その論争が始まるまで用いることができない。法的手続きは、新たな知識が現れるコンテクストなのである。このコンテクストは(★2)往々にして、何が・なぜ悪かったのかをめぐって異なる見解をもつ両当事者によって大きく引き裂かれてしまう。利用可能なリソースが平等に与えられていない場合も多い。原告が個人である場合は典型的に、大企業に比べて専門的知識へのアクセスが限られている。法律の専門家も科学の専門家も、意見が極端に対立し、当事者が対等でない紛争においては、どのようにして信頼できる知識を生み出すかという難題に注意する必要があるのだ。
 第二は、本書が「法の遅れ(law lag)」という考えを退けている点である。このよく知られた考えは、科学技術の動向は法が追いつけないほどに急速であり、それゆえ法はつねに科学に遅れをとっているというものである。本書で扱っている経験的な研究によれば、実際にはその反対であることも多い。法がまさに、科学技術が発展する前提条件を一定の方法で生み出しているのである。科学が進歩する領域を法が先行して形作っているという重要な事実を認識すれば、社会の意識や理解も進んでいくだろう。
 第三は、法は専門技術的な意思決定を民主化するにあたって主要な役割を演じるという点である。高度に専門技術的な社会問題については、その専門家といえる人はほとんどいないのだが、そのごく少数の者が、多くの人々の広く遠い将来にまで影響を与える判断を行うのである。アメリカの法廷は、行政の規則制定、法科学、あるいは不法行為責任のどれが問題となっている事件であれ、そうした影響力のある人々の専門的知識を問題にし、検証する場となってきた。日本でも法は歴史的に、環境や公衆衛生にかかわる損害賠償請求訴訟において民主化の役割を果たしてきた。
 私は日本の仲間たちにアプローチできるこの機会を心より喜んでいる。みなさんが全世界に広がる法と科学の相互作用を適切に位置づけるという課題に、私とともに参加してくれることを願っている。そうすれば、現代の最も重要な制度の関係の1 つ、すなわち科学と法の関係をより包括的に説明する基盤を築き上げることができるだろう。

2014 年11 月
アメリカ・ケンブリッジにて
シーラ・ジャサノフ
小林史明 訳)

※ (★1)まで本書「p. i」、(★2)まで「p. ii」、それ以降が「p. iii」にあたります。


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