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左が吉良貴之、右が小林史明

若手法哲学者連続対談・法と科学を語る (1) 吉良貴之/小林史明

→ 第2回はこちら。

1. はじめに

 吉良貴之@法哲学です。唐突ですけれども、「若手法哲学者連続対談・法と科学を語る」といったことをやってみたいと思います。
 一般の人にはまだまだ「法哲学って何?そんな学問あったの?」という感じだと思いますし、比較的近い分野の方であっても、法哲学がいったい何をしているのか必ずしも伝わっていない気がします。僕は「法と科学」のようなテーマをやっていることもあって、わりといろんな分野の方々と日常的に接点があるんですが、まあ、いろんなことを聞かれます。震災と原発のような大問題から、日々の大学業務のこまごましたことまで、なんでもかんでも。そこで「法哲学的にはどうなのか、これは正義にかなっているのか!」と、無茶な聞き方をされることがやっぱ多いんですね。どうもなんか、法哲学というと普通の実定法学者や法律家とは一味違った、ものすごい高みから何でも答えを出してくれるという誤解さえあるのではないかとも感じています。それこそ「固い法律観」ならぬ「固い法哲学観」でありまして、実際はそんなに万能なことやっているわけないですし、「法哲学的には」とくくれる共通の基盤が何かあるわけでもありません。みんなやっていることバラバラです。なので、そんな無茶振りには「知らんがな」と言いたくなることもないわけではない。
 けれども、それをやると「そんなんじゃ法哲学は社会から見放されるよ!」とさらなる追及を受けます。さてどうしたものか、と困ったとこなんですが、それはそれで期待してもらっていることの裏返しであるし、そういった美しい誤解に乗っかることも必要だろうと思います。というか、これまで法哲学者はそういうニーズにうまく乗ることがいまいちヘタだった、というのは学界の反省点としてあるでしょう。自分の研究だけに没頭していて済まされる時代でもなし、せめて飛んできたボールはきちんと打ち返していこう、あるいはもっと積極的に他分野、ここでは科学方面が対象になりますが、そっちにボールを投げ込んでいくぐらいの勢いがあってもいいと思います。法哲学内部での理論的な精緻化も重要なことですけれども、そういった社会的テストに身をさらす勇気もまた必要なわけです。
 もちろん、先ほども述べましたように「法哲学」には「通説・判例」みたいなものはありませんし、極端にいえば全員が全員、まったく違うことを考えている。そういう多様性はもちろん大事なんですが、外から見るとバラバラすぎて何が何だか、という欠点?もあります。「統一見解」はもちろん出せませんが、かといってただバラバラなものをそのままに出しても芸がない。せめて、こういう問題についてはこういうおおざっぱな対立軸が作れるかも?というぐらいは示すようにしたいところです。
 幸い、今回の企画に参加してくださった小林史明さんと僕とでは、法哲学上の様々な問題、特に事実と価値の問題とか、裁判のあり方とか、「法と科学」に密接に関わる問題について正反対ともいえる立場の違いがあります。僕は自然主義といわれる立場でして、価値も事実に還元できるし、裁判は終極的には価値判断抜きで行けると思っています。それは科学技術社会論で否定的にいわれるところの「科学主義」だそうで、ちょっといかがなものかと思われるようなんですが、これはあくまで理想であって、現在の科学水準でそれが可能だとは思っていない。いわば「過渡期」として法の自律性というのはあるし、それを適切に見定めることにも意義があると考えています。ただし、理想としては科学がもっと進んで、エキスパートシステムができてしまえばすてきだと思っています。それに対し、「法と文学」という領域に主に関わっている小林さんのほうはそんな排除的なことは言わず、法には科学がいくら進んでもどうにもならない「剰余」のようなものがあって、それは人文学的想像力によって補われるというふうな立場をとっている。
 そのへんの詳しいことは本人に語ってもらうとして、とりあえずそんなふうに両極端な側から、ふだん雑談してるような調子でざっくばらんといろいろ語ってみることによって、法哲学の「振幅」と、そこにあるなんとなくの「軸」のようなものが出せればいいなというのがこの企画の主旨です。もちろん、小林さんと僕だけではなく、その他の専攻の方も将来的にはお呼びしていろいろ語っていけたらと思っています。

2.「法的意思決定」とは

吉良:では長々としゃべりましたが、小林さん、簡単な自己紹介、やってること、その関わりからみた「法と科学」の印象など、なんでもどうぞ。
小林:ただいま。いまから読む。 これ、いつ書いたの。
吉良:いま。
小林:ちゃんと座談会みたいになってる。
吉良:こういうのちょちょいと書くのだけは得意。
小林:いやまた尊敬した。
(一同爆笑)
吉良:おい。
小林:ご紹介にあずかりました小林です。みたいな感じか。
吉良:「ちゃっらーん、小林です」でええやん。
小林:もうオリジナルいないじゃん。
吉良:じゃあまあ 最初はとりあえずまじめっぽく、ノってくればふだんのノリで。
小林:ご紹介にあずかりました小林です。私は、「法と文学」と呼ばれる領域を主たる研究テーマとしています。マイナーな法哲学の中でもさらにマイナーな領域なのですが、法学における科学的なるものに対立するという点で、「法と科学」研究とは逆に深い縁があると思っています。参加してまだ日が浅いので、表層的にしか議論を追えてないとは思いますが、このテーマに参加されている法学者、弁護士の方々は、私の目からみるとどちらかというと実証主義的で「科学的」な法律家であると思っています(反論はありましょうが)。法律家の考える科学観と、科学者の考える法学観と、それぞれが相手が考えていると考えている科学・法学観をぶつけあっていて非常に新鮮に感じました。
吉良:実証主義的とか科学的とかいうのは、たとえばどんなところで?
小林:個別の救済ということを意識されている(せざるを得ない)弁護士さんは別として、基本的にはやはり話が、法と科学のわかりやすい結節点である因果関係に集中しているためか……、いやこんなこといいや。
吉良:(もうそっちで考えてきたことしゃべってよ)
小林:吉良さんがおっしゃるような法の自律性を重んじ、それを確固たるものとしようという動きは、法学の誕生以来、ずっと進んできたことだと思います。いまある法学は、芸術と決別し、神学と決別し、政治と決別して、「純粋」になってきたといってもよいのかなと思います。
吉良:自然法論はまた別ですが、法実証主義と呼ばれる立場は基本的にそうですね。
小林:(よく座談会でみる愛の手だ)
吉良:(愛は必要)
小林:そうです。自然法論の例外をあげられましたが、しかし、昔は一緒だったが決別したそれらが、ふとしたきっかけで法に顔を出してくることがあると思います。政治的なものを法学から排除するのではなく、政治的闘争の産物として法をとらえていく動きなどもありますし、自律性は、法実証主義全盛のときには疑われることなく目指されていたと思いますが、ポコポコ出てくるものです。(まじめな文章が書けなくなってるぞ)
吉良:小林さんの「文学」あるいは人文的なものは、そのなかでポコッと出ちゃったんですか。(ふだんのノリでやらんと進まんぞ)
小林:そうです。もともと同根であることもあって、自律性を自称していても、いろいろなきっかけでポコっと出てしまうものなのです。
吉良:小林さんはむしろ、それが規範的にいいことだ、という立場ですよね。裁判官が文学をいっぱい読めばいい判決が出るという嘘八百に何のいいことがあるんでしょうか。
小林:いやそれは単純に規範的によいことだと考えているわけではなくて、法が自律しているというのは完全にフィクションだと思っていまして、フィクションであるからそこから逸脱する事象がいつだって起きてくるのです。そしてそれは避けがたいので、無理してそれを排除しようと躍起になるのではなく、法が全然自律していないということに自覚的であれ、という主張です。
吉良:そこでこの「法と科学」研究プロジェクトの名前である「不確実な科学的状況での法的意思決定」というのについて聞いてみたいのですが、前半はともかく、後半の「法的意思決定」というのはどうですか。特に「意思」が入ることについてなど。
小林:まずこのプロジェクト名にある「意思」とは誰の意思なんでしょうか? それぞれのアクターの、という広い意味ですか。
吉良:素直に考えればまず裁判官でしょうね。でも訴訟を提起するしないといった局面での意思決定、法廷でのいろいろな戦術、あるいは ADR なども入れれば、弁護士はもちろん、一般のさまざまな当事者を含めた幅広い各アクターが入ってくると思います。

2.1「当事者主義」の構造的問題

小林:法的な決定、とりわけ裁判所ということでいえば、判断を留保して放っておくことが制度上許されていないわけですね。
吉良:そうですね。そこが科学と違うともいわれる。
小林:しかしそれは立証責任の問題にすりかえて処理してるってことですか?
吉良:というと?
小林:裁判所は決定しなければならないが、積極的にどうこう決定する必要もないですよね。ある科学的なできごとを認めるか認めないかは、それを立証する側の立証不尽にして、消極的に判断することができますよね。だから結果として、勝訴・敗訴という形で裁判所が決定していますが、それは科学的な問題の内容そのものについての決定ではありません
吉良:たとえば原発の再稼働差止め訴訟で、危険であることの立証が尽くされていない、よって請求棄却、みたいな場面でしょうか。安全か危険かという実質的な判断がなされたわけではないのに、それによってあたかも安全と裁判所がいっているかのようなメッセージが発せられてしまう。
小林:そういうことを想定して言いました。
吉良:すると、「法的意思決定」という言い方は不確実な科学的状況下ではあまりふさわしくないのかな。単に逃げてるだけ、みたいな。現状の説明としてね。
小林:そこがさっきの「救済」という問題とつながるところなんだと思います。
吉良:立証できないと負けるんだったら、被害者側はだいたい救済されないですよね。
小林:着々と科学的事実を積み重ねて、法的に立証された、と言えないレベルであればさっさと棄却して、はい終わり。 というのが、普通の因果関係論ですよね。
吉良:それは当事者主義の構造的問題といえそうなところです。小林さんの立場から、それについてここをこうすべき、みたいなのはあるのかな。たとえば裁判所がもっと積極的に証拠調べして、当事者以外からも情報を集めろというのは、職権主義といわれて法律家・法学者には強い拒否反応がありますね。
小林:当事者主義が見直されつつあるという状況がまずあります。門外漢なのであまり知ったような口を聞くのもあれですが、当事者主義の代表として知られているアメリカにおいてさえ、特に刑事裁判ですが、当事者主義からの離反が昨今、注目されています。
吉良:それは基本的に、刑事であれば被告人側がうまくやれてない、というときの救済ではないですか。検察側に裁判所が肩入れするようなのはあまりなさそうですが。
小林:日本でも、特に消費者金融の過払い金訴訟等において、少額訴訟で利息制限法を援用しない原告に、裁判官がヒントを与えている例などがあったと思います。
吉良:刑事裁判なら被告人は構造的弱者なので、そっち方向に裁判所が助け舟を出すのは理解しやすいんですよ。消費者問題でもだいたいそうです。それがあんまりはっきりしない問題で、どっちかに肩入れするのはまずいんでないか、というのは法律家の反応として一般的な気がします。
小林:いや米国での昨今の当事者主義からの刑事裁判での離反は、逆だと思うんですが、まあそれはどっちでもいいです。
吉良:刑事裁判は適正手続きとともに、真実追求というのも大きな目的ですから、それに資する限りでの修正があったとしても理解できなくはないですかね。でも、この研究プロジェクトで主に問題になっているのは民事で、そっちは「目的」があんまりはっきりしないんですよ。たとえば原発の再稼働ひとつとってみても、とても政治的な問題で、もちろん賛否両論がある。そこで職権主義みたいなことをすると、裁判所の裁量が大きくなりすぎてしまうのではないかという問題がある。そこには民主的な正統性、つまり一応は民主的な手続きで決まったことを裁判所がなぜ・どこまで覆していいのか、という問題もあります。
小林:民事裁判における最大の目的がよくわかっていません。法哲学やってるのに。大きな意味での紛争処理というのがおそらく模範解答なんでしょうが。
吉良:紛争処理って何?というのも話題になっています。当事者の納得とかいうと、もう不可能なものいっぱいになる。強制力を背景とした権威的決定、というのがひとまずの模範解答か。
小林:(そうだったんだ)
吉良:(えー……)
小林:「当事者双方が納得 → 解決」は基本的にOKですね。
吉良:そんなのはたいてい、最初から訴訟にならない。
小林:いや三方一両損みたいな思いつきもしない和解案が出されることはある。ほとんどないけど。

2.2 法と文学/法と科学

吉良:まあそれを最初から期待した制度設計はおかしいでしょう。必ず妥協はあるというか、どっちか(あるいは両方)が不満をもつ仕組みになっている。そうやってずばっと打ち止めにしてしまう形式性は、法のいいところだと僕は評価しますが、小林さんだと違いますよね。
小林:違いますね。法というのが形式的に終局を与えることがいいところだという吉良さんのような非情な立場に対して……、
吉良:非情じゃないってば。
小林:そもそもそういう法の形式性がいいことだとされること自体への異論があるわけです。
吉良:法の形式的な言語によっては救いきれない「」があるというわけですよね。裁判所はそれを積極的に聞きに行くべきだというふうに、当事者主義が見直されるんでしょうか。
小林:裁判所が聞きに行け、というのが具体的にどういうことになるのかわかりませんが、とりあえずのところ今そういうことを担っているのは現実的に弁護士ですね。
吉良:だから弁護士さんがカウンセリングみたいなことまでやって死にそうになってるわけです。いいぞもっとやれと。
小林:弁護士さんはふだんはもうほとんど法律と関係のない、法言語と程遠い日常、あるいはもっと強烈な怨嗟みたいなものを聞いているわけですね。もっとやれって個人的には思っています。
吉良:科学的問題の場合、たいていの弁護士はそんな高度な知識はないので情報集約に限界がありますよね。すると、裁判所の権限でやれ、という話になるのか。
小林:裁判所の権限でやれっていっても、権限じゃなくて能力がない場合、どうするんですか。
吉良御用学者の話を採用して終わり。当事者主義を修正して裁判所の裁量を強めた結果、よくわかんない問題についてはかえって権威主義が強まる、という問題があるんです。それに対し、「法と文学」が想定する弱者の場合、それを代弁する権威ってのはいないことになってるんでしょうか。たとえば東大教授に聞きに行けば弱者の声が拾えるとは誰も思ってないでしょうが。
小林:代弁する権威ってのはいますよ。そういうことの問題性も十分指摘しています。
吉良:科学ほどあからさまではないように思いますが、どうですかね。あからさまでないがゆえにわかりにくくて危険ともいえますか。
小林:その人にしかわからないことを、公共的決定として判断することが、いかに難しい試みかということですね。あ、権威のも問題ね。御用学者!に当たる罵倒語が、弱者代弁についてはまだないし。とかく思うに、裁判所が得意としない専門知に対して決定が迫られるときという点で、私の「法と文学」研究とこの不確実な科学というのは類似していると思うわけです。
吉良:なるほど。
小林:ズバッという説得力ある解決を提示した人は、「法と文学」においてはまだいないと思います。 ただ方向性としては、すぐれたインタープリターに期待するプロフェッショナル側の方向と、みんな勉強しろよっていう大衆側の方向があって、私としてはインタープリターの方向に期待しているわけです。ただし代弁者の権威性の問題をぬぐい去ることはできないので、聞くほうの耐性の問題として、想像力ということを口を酸っぱくして言ってるわけです。
吉良:科学コミュニケーション論で問題になることですが、科学ジャーナリストにもっとがんばってほしいというか、そういう人をうまい具合に司法制度の中に組み込めないか、みたいな方向になるのかな。科学に応用した場合。
小林:もしくは、司法制度を謙抑的に捉える立場からは、統治行為論の科学ヴァージョンのような論理によって、そういうことは立法か行政委員会でやろう、ってなるのだと思う。
吉良:僕もすぐ「立法でやろう」と言いたくなるんですが、この研究プロジェクトは裁判の改善が主な目的なので、とりあえずそこを考えましょう。
小林:あ、そうなんだ……。
吉良:いやまあ、無理!と示せるならそれでいいんだけど。
小林無理でしょ
吉良:あれ、あっさり言うんだ。だったら「法と文学」も無理なんじゃない。個人の資質に期待する制度設計なんてダメでしょ。
小林:まあ、科学でいうとさ、裁判官が判断できる、勉強できる科学って「確立した科学」までじゃない。
吉良:せいぜい高校生レベルまででしょうね。
小林:ノーマルな科学っていうか。でもそういうのは訴訟にならないでしょ。「水からの伝言」とかあるかもしれないけど。
吉良:訴訟になるのはいつも最先端の科学的問題だね。
小林:そうするとやっぱり裁判官にそんなの判断できないのかなあ。うーん。

2.3 ルンバール判決と因果関係

吉良:具体例を出して考えてみましょう。ルンバール事件ってのはご存知?
小林:はい。
吉良:あれは、鑑定が4通あって全部、因果関係を否定してるのに、それでも因果関係を認めちゃった(判決)。これ、法律家は科学を何もわかっとらん、と今でも引き合いに出されるわけですが、こういうのどうなんですかね。科学がわかってないからそうなったのか、被害者救済という目的のためには科学を無視してもいいということなのか。無視していいなら、「正義」のように、法には科学とはまた違った自律的な価値の領域があることになります。
小林:因果関係の意味が違うわけですよね。たとえば注意義務の構成次第で、科学因果関係を否定しながら法的な因果関係を認めることは容易です。
吉良:一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく……というのは、法的因果関係は違うという話の枕に過ぎないのに、そこだけ切り取られて馬鹿にされている。
小林:まさしくその切り取り方は恣意的で、裁判官としてはおそらく自然科学へのお世辞だっただけだと思うのですが。
吉良:それがお世辞としてではなく、科学者にとっては非情に迷惑だ、みたいに受け取られたようですね。
小林:因果関係論でいえば、ハートとオノレの大著(『法における因果性』)がありますよね。あそこで失火の例を出して、確か、なんかおもしろいこといってたよ。
吉良読んでないだろ
小林:読んだ読んだ。
吉良:あの本はやたら分厚いくせに、法的因果関係って科学的じゃなくてコモンセンス=常識による構成だって延々と繰り返してるだけのように思えるんだよね。この「ルンバール判決」においては、コモンセンスにさえ真っ向から反する判決が出たわけで、それをどう評価するかというのもある。
小林:あのほら、普通、基板がショートして家事がおきたらショートが原因とされるけど、無酸素室への酸素流入で火が出たら、酸素が原因とされる。で、それぞれ責任というフィルターを通してしか原因を特定できないみたいなことを書いてて。ハートは日常言語学派なんだからそれでいいじゃないか、コモンセンス。
吉良:なんかぐだぐだだなあ。
小林:科学やろうとすると大変だ。

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